竹内結子主演の『ストロベリーナイト』からスタッフ、キャストも一新して放送された二階堂ふみ主演の『ストロベリーナイト・サーガ』がスタートした。
あんなに自分が好きそうな刑事ドラマなのに、リアルタイムで追えなくて、いまさら、一番最初のスペシャルドラマで放送された『ストロベリーナイト』のほうを観たので、『サーガ』と比較してみる。
私は竹内結子派
結論から先に言うと、私は竹内結子バージョン派。
スペシャルドラマ、連ドラ、映画までやったから当然、姫川=竹内結子のイメージがこびりついている。
その贔屓目もあるけど、スペシャルドラマとまったく同じ内容をやった『サーガ』1話については、私の中では竹内結子のほうに軍配が上がった。
そもそも主人公が違う違和感うんぬんより、竹内結子バージョンの『ストロベリーナイト』(スペシャルドラマのほう)自体の完成度が高い。
竹内結子バージョンのほうが伏線が効果的
一番最初に、人が連れ去られて拷問を受けるシーンや監察医から変死体の話を聞いてるシーンを入れていたのがいい伏線になっていた。
そして、姫川がなぜ刑事を目指し、若くして出世しようとしたのか、その理由を途中で挿入したことで、北見(林遣都)は姫川を自分と同類(常に上を目指して、敗北者を見下している人間)だと思っていたけれど、それは勘違いであることがわかる。
また、彼女を襲うことで、「ストロベリーナイト」を消そうとする邪魔者を処分する意味だけでなく、同じ土俵に立っているものを陥れ、自分が勝者になるという「優越感に浸りたい」北見の目論見が見えるが、そもそも姫川のポリシーとは異なるので、その北見の目的さえもバカげたものだと視聴者に思わせる効果も持っている。
一方、『サーガ』でも同じシーンがあるが、北見は、姫川が目障りだと思って襲っているようにしか見えなかったので、そこまで深い意味を汲み取れなかった。
映像美も竹内結子バージョンのほうが……
あと、映像の効果も。
『サーガ』は終始、映画のような映像なので、重厚感を感じられるのはいい点。
そして、肝心の殺人シーンはものすごくグロテスクに写ってはいないものの、 血が吹き出すシーンは直接的な表現をとっている。
いい意味ではリアリティがあるけど、悪い意味では情緒に欠ける。
一方、『ストロベリーナイト』は殺人の瞬間だけコマ送りにしてみたり、写真とイラストのようなものを組み合わせたような映像(うまく説明できないんだけど、押井守監督の『立喰師列伝』の表現に近い……かな?)で、グロテスクさを抑えている。
しかも、スローモーションで血が飛んだり、血の粒子だけがカメラに映るように表現することで、想像力を掻き立てられ、その残忍さと登場人物が言う「芸術」というのが理解できるように作られている。
とはいえ、『サーガ』だって魅力的なシーンがある
トータルで見るとやっぱり、竹内結子主演バージョンのほうが、そのまま映画として出してもいいんじゃないかと思うくらい、ストーリー、構成、映像がきれいに出来上がっている。
とはいえ、『サーガ』だって魅力的だと感じたところがあった。
それは、キーパーソンとして登場する精神病患者の深沢由香里(山口まゆ)の存在感を強調させたところ。
『ストロベリーナイト』でも当然キーパーソンだったが、それほど由香里(谷村美月)のキャラクターを掘り下げていない。
だから、姫川が彼女にシンパシーを感じるのは疑問に残る人もいたかもしれない。
でも『サーガ』は、導入ですでに由香里を登場させ、視聴者に彼女の存在に関心を持たせ、クライマックスで一気にキャラクターが爆発するように作られていたのは圧巻。
そして、姫川がなぜ彼女と共鳴できたのかもよく理解できた。
そして、この由香里を演じていた山口まゆちゃんの演技がうますぎる!
同じ役をやっていた谷村美月ちゃんだってうまかったのに、正直、越えてたと思う。
それが、より由香里のシーンが素晴らしく感じたのかも。
だから、『サーガ』だって単体で観れば悪くないんだけど、先に出てるものが良すぎて……。
んー、でも、二階堂ふみちゃんが部下の大塚(重岡大毅)のことを「真二」と呼んだり、頭なでたりするシーンはぶっちゃけ「ない」と思ったのは、確か。