「浮世」の意味が秀逸だったスペシャルドラマ『浮世の画家』

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スペシャルドラマ『浮世の画家』を視聴。

浮世の画家

もともとは、カズオ・イシグロ原作の本。

簡単なあらすじ

著名な画家だった小野(渡辺謙)は、終戦後、隠居生活を送っている。そんな中、一番心配しているのは、次女・紀子(前田亜季)の縁談がまとまらないこと。

1年前に縁談がまとまりかけたものの、突然破談になった。このことを、長女の節子(広末涼子)から、小野の過去のせいではないかと指摘される。

その過去とは、自分が戦時中に戦争を肯定する側に加担したこと。そのせいで、人を不幸な目にあわせてしまったことがあり、過去の行為は罪深かったと自分で自分を責め続けている。

紀子の破談、しかもそれがその過去に関係あるのではないかと節子に言われてから、より疑心暗鬼な気持ちが強くなる小野。

ついには、紀子が再びすることになった見合い相手の弟が、今は気まずい関係になっている弟子・黒田(萩原聖人)に大学で指導を受けていると聞いただけで、「あいつは私の過去を責めているに違いない」とまで思い込むようになるが……。

本人も今はよしと思っていない過去を責めていいものなのか?

本編は、小野が画家になるまでの過去と、彼の過去の「罪」に関わるキーパーソンである黒田について、謎解きのように徐々に明らかにされるので、ついつい物語に引き込まれる。

ただ、小野がちょっとしたことで、他人から自分の過去の罪を責められているのではと過剰に反応したり、それに対してちょっと言い訳がましい心の声が聞こえてきたりするのが、正直共感できなかった。

とはいえ、小野はその当時の時代の流れに合わせて、自分の信念に基づき、懸命に生きてきた。だからそれがたとえ、今見れば非難される考えだったとしても、私は小野のことを責められないと思った。

このドラマの題材であった戦時中と戦後がいい例だけど、過去いいとされたものが今は悪いものとされ、今は過去について本人が悪いと思っていても、今の基準で見て、「お前の過去が悪い」と他人を責めていいものなのか……というのは考えさせられる。

なぜ「浮世」の画家なのか

あとタイトルの「浮世」は、てっきり「浮世絵」に関係するものなのかと思っていたけれど(チープな発想ですいません……)、そうではなかった。

もともと、優美な日本画家の師匠のもとで修行をしていた小野は、師匠から感性を磨くため、芸者など夜の遊び場へ繰り出すことが多かった。

修行中といったって戦時下だったわけで、そこで学んで生み出す作品というのは色っぽさ漂う、戦時中にはふさわしくない画風。

だから、その時点で世間から浮いていた。

そこからある人間にそそのかされた小野は次第に荒々しい、まさに軍国主義を表すような画風へと変わっていく。

でも戦争が終わり、その画風自体、時代にマッチしなくなり、またも画家として世間に浮いた存在になってしまったのだ。

だから「浮世」なのだと。

きっと原作にそういう意味がかかっているからだと思うけど、映像で観ても小野が“浮いていく”様が秀逸に描かれていて、味わい深い作品だと感じた。

途中、「小野に共感できない!」なんて書いてしまったけど、ストーリーに無駄がなく、あれこれ考えさせてくれる良作だった。

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